Lapis通信

Lapis通信について

ラピス ド エコールが塾生向けに2010年から発行している「お便り」になります。
ご父兄や塾生の方に向けて、勉強法や子育てのアドバイス、
どんな力を身についた大人になって欲しいかなど

塾長の熱い想いがつまったメッセージです。
どうぞご覧ください。

2019年 5月号より

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに 地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。

金子みすゞが、この詩と供に再び脚光を浴びていた頃、体育祭では、SMAPの「世界に1つだけの花」が盛んに流れていました。ゆとり教育は全盛で、学校の通知表は、相対評価から絶対評価へと移行します。

時代は、《個性尊重》の波に乗り、「子どもの人権」「子どもの権利」が大きくクローズアップされて、商圏ブームも大きく変わりました。未曾有のごとく出版された育児書、教育書はブームを煽り、お子様専用のメニュー、子ども用のブティック、お子様携帯の販売等が巷にあふれて、お子様に配慮された場所は病院、レストラン、どこであっても、その評価が直ちにママ友の輪から情報拡散され、『お子様』の玉座はゆるぎないものへとなりました。

けれど、金子みすゞが「私と小鳥と鈴」を執筆した時代は、封建制度・家制度の時代でした。
ですから、みんなちがって、みんないいと詩っても、その主張が世間では認められなかった。
この柔らかい詩に中には、金子みすゞの言葉でもレジスタンスが伺いしれます。

そこを顧みて、今に活かすことを噛みしめる前に、個性尊重の旗頭の様に持ち上げられた頃から、人、一人ひとりの個性を尊重する軸はズレ始めたように思えるのです。

ダイヤモンドは研磨さえなければ光りません。鋼は打たなければ強くなりません。同じ様に『個性』も、より際立たせ、その人の社会を渡る武器として、一人ひとりの核になるべく、切磋琢磨され、研磨されなければ活き活きと泳げる場所を狭めてしまいます。

けれど私達は、「個性」「個性」と呼ぶブームの波に飲まれて、先を見据えて子ども達の「個性」を伸ばすことよりも、我が子を真綿で包みこんで、今日見せてくれる笑顔に躍起になってしまったのではないでしょうか?
親であれば、子どもの笑顔がみたい。喜ぶ姿、夢中な姿を見たい。
そう思うのは当たり前です。そうやって、一日、一日を大切に過ごすだけでも必死です。

私はそうでした。
3人の子どもの子育て中は、目まぐるしい家事に追われ、仕事を始めると尚のこと、週末に家事は貯まり、何もかも中途半端なような気がして新聞もろくに読めず、目にしても活字が意味をなして頭に入ってこない状態で自分の時間なんて永遠に来ないのではないかしら?とさえ思えました。
どんなことでも、その渦中に居ると全体が見えません。
台風の真っただ中の時はその大きさも進路も読めず、ただじっと安全を祈るばかりです。

けれど、だからこそ『幅広い知識』『深い洞察力』『想像力』が必要なのだと思います。
いえ、情報過多の中で、何を選ぶかの判断力を一人ひとりが持つことが必要だから、先を見据えた判断ができる環境を、今、どう整えるか?が日々問われる課題なのだと思います。
経験の少ない子ども達の立つ土台はまだとても低いものだから、辺りを見渡そうとしても、遠くまではとても見渡せず、等身大のモノしか目に入りません。
そこで、少し先が見渡せる大人が、この先は石が有るからと、石をどける。歩きやすい靴を履かせる、ことでは無くて。どんな茨の道でも進もうとする、心と体のバネを鍛えてあげることが、何より大切なのではないでしょうか。
それは、子ども中心に世界が廻っているかのような風潮に、まず、乗せられないことだと思います。(もちろん世界は子ども中心に廻っていないのですから。)
そして尚、ラピスに通わせて貰っている子ども達(戦争や飢え、震災を知らない)奇跡の環境に居るラピスの子ども達には、だからこそ、奇跡の環境をフルに生かし、大きな心の人になって貰いたい。

親は神様から、「あなた達は十分に親になったから、子を授けるね。」と、子どもを授かったわけではありません。
子どもを授かったその瞬間から見様見まねで小さな命を守ろうと、不安をいっぱい抱え、わが子の成長の都度、喜び、驚き、段々と親になっていきます。
「キミが1年生」なら、「1年生のキミを見守る、私も初めての体験。1年生の親で不安だよ」ってことを、子どもは知っているのかなぁ。と思います。
それでも自分の為では無く、大切な人が笑顔でいる為に、どれだけ工夫をしているか。どれだけ必死で働いているか、子ども達は感じているのかしら…?
だけど、それがどんなにすごいことかを、ちゃんと理解してほしいのです。
それは、一朝一夕に成ったものではありません。
弛まぬ努力と出会いと研磨に時間を掛け成ってきたものです。そんなすごいことを自分は甘受しているのだ。ということを。
そして、子ども達も自分のためだけでなく、人のために動ける人になれるよう、徐々に力を付けて欲しいのです。

〈1個のパンをみんなで分けられて、良かったね。と言える人に〉〈みんなが食べられるように100個のパンを作る人に〉〈安全に食べられる小麦を作る人に〉〈買いやすい流通を考える人に〉〈求めやすい価値にと経済を考える人に〉〈そして、感謝の笑顔が返せる人に〉
自分以外のみんなのことを考えられる人、そこにそれぞれの個性を生かしながら、得られた笑顔こそ本当に喜びだと、ラピスは信じます。

だから、奇跡の環境に居るラピスの子ども達が、知識と想像力を駆使し知恵を使って動ける人になる様に、ラピスドエコールはこれからも、語りながら、授業を展開していきます。

2014年 4月号より

自分を縛るもの・・・  劣等感とプライド
本当の受験の準備を、心から子ども達が率先してやってくれるのは、やっぱり最終学年の1年間です。この1年に、最終的に生まれるプライド。それが目に見えるように感じたとき、「あ、この仕事、やっててよかったのかもしれないな。」と僅かに感じます。

だいたい、子どもはできないことをしたい、とは思いません。
できるからしたいのであって、普通はできないことはやりません。
お母様方はよく、『できないなら、やりなさいよ。努力してできるようにしなさいよ。」と、正論をお子さんに投げかけます。

さて、大人の私たちは、自分についてはそうしているでしょうか?

英語が話せない…。しゃにむに英語の勉強を、恥を忍んでレベル高い会話のなかへ飛び込み、自らに強いて、来る日も来る日も…?
もう忘れてしまった数学、理科。もう一度本を読み、学び直し、克服し、テストを受ける…?わたしたち、親は、どんな努力をしているのか。ふと、「子どもに及ばないかもしれない。」思われたりしませんか?

受験勉強のきつさは、9割方、精神的なものです。
やってもやっても、「まだ、まだ!」と突きつけられます。受験勉強が苦しいのは、なんの保証も無いからです。誰も知らない未来のための努力だからです。そして100日あれば、95日は、劣等感との戦いです。だめなんじゃないか、という自己猜疑心をふりはらう毎日です。今日、みそっかすだった野球選手(投手)の男の子が、絶体絶命のピンチにマウンドを託され、油断する相手の裏をかいて、牽制球をなげて切り抜ける、というお話を国語の授業で学習しました。万年ベンチの主人公は、試合にまさかの登板の機会ができ、初めて、信頼される重さを知ります。多くの受験生の子が、最終学年になって、自分が主役であることに気づきます。

もしかして、自分でやらないといけないのか?勉強に対して、初めて、そう理解します。
プライドって何でしょう?

マウンドに立ったへっぽこピッチャーだった少年は、さなぎから蝶にかわります。彼は、変身の必要を察し、「今こそ変わらん。」とする訳です。結果の如何に関わらず、己の力を出し切るために、彼はただ、『集中』します。プライドが生まれます。
自分にまかされたんだ。「お前しかいない。」と言う監督の言葉が、生まれ変わりの魔法の言葉です。一歩も引かないという態度こそ、プライドの現れです。受験生はだんだんに、こうしたプライドを身につけていきます。彼らは劣等感の克服のしかたを覚えます。体と、心で身につけていきます。自分を育てる、自分を作る、自分をデザインする、そういう強さを、身につけていきます。
なんて素晴らしいと、感心します!

受験だろうが、何だろうが、私は勉強が大好きです。まだまだ学べることが、たくさんあって、幸せです。
みなさんと勉強していると、多くのことが学べます。こんな嬉しい毎日はありません。だから、Lapisの子達には、心で勉強するよう指導しています。

受験も心でするのです。

一生懸命に、何をするでしょう?
点を取ろうとしたらおしまいです。点は取りにいってはいけないのです。
 あー、いい問題だなあ!さすが、私の、僕の志望校だなあ!
先生方が、一生懸命につくってくれた問題なんだなあ!
分かろうとする。「全力で!!」です。

おいで!!しっかり考えて、良ーく見てごらん。きっと気がつくよ。                        問題から声が聞こえてきます。観察。観察。固定観念を捨てて。だめなら発想を変えて。
いろいろな可能性に気を配って!
見落とさないように、注意深く。それが、静かな心で、時間が止まったようにできたら。 きっと満足がいくでしょう。たとえ落ちても…。 不合格は悲しいことではありません。
もっと悲しいのは、不本意に合格することです。
 人事を尽くすことが、できなかったことです。全員受かる訳ではありません。

 「できなかったことは、あなたがやらなくていいこと。」 
マザーテレサの言葉です。
成功しても、失敗しても、明日がまたやってきます。
 
そう言う意味では、私たちは十分、幸せです。
また、頑張れる場があるのですから…。

2014年 8月号より

「努力」という幻想

昔、あるテレビドラマで見たお母さんと子供の微笑ましい会話が心に残っています。

勉強をしない子供に対して、
「どうして、もっと勉強しようと努力しないの」と聞く母親に、子供が答えます。
「うん、だから、努力しようと努力しているんだけれど」

おもわず微笑んでしまうこの言葉を聞くとき、
私たちは、「努力」という言葉が、 極めて精神的な言葉であり、自己幻想に陥りやすい
言葉であることに気がつきます。

なぜなら、仕事で壁に突き当たっている人に「あなたは、努力をしていますか」と聞くならば、「ええ、自分なりに、精一杯の努力はしています」と、多くの人が答えるからです。
誰でも、精神的には、努力している。
しかし、具体的には、成果が出ない。

そのことを考えるとき、ふと、不思議なことに気がつきます。
一流のプロフェッショナルは、精神的な「努力」という言葉をあまり使わない。そのことに気がつきます。

では、彼らは、どのような言葉を使うのか。
具体的な「工夫」
それが、プロフェッショナルの世界において、
「努力」を意味する言葉なのでしょう。2014年度も半期が終えます。
蝉しぐれが聞こえ、猛暑が続いても、今日、蜻蛉が飛んでいるのを見かけました。
今年もラピスは、工夫を凝らし、新しい試みに少しずつ挑戦しています。

2014年 12月号より

夕闇の濃さが増し、イルミネーションが華やかになってきました。
一年の経つのが本当にはやいこと…。
今年も様々な事件、出来事がありました。

世界情勢も不安定なまま。国内を見渡しても、原発の賛否、米軍基地移転問題、消費税、そして衆院選。人間構造のもろさ、ひとり一人の人間のたくましさを繰り成しながら、2014年も閉じようとしています。

これからも、逞しさと脆さの中で私たちはたくさんのことを学び続け生きていくのでしょう。
その過程での皆さまとの出会いを深く感謝いたします。この出会いを、さらに感動に繋げるために、今年も「冬特訓」を迎えます。

期間中には“雪”の降ることもあります。皆、凍えた手に白い息を吐きながらラピスに訪れます。けれど例年、特に雪の日の教室はとても静かで、外界の音が消え、鉛筆の音だけが教室に響きます。

この静けさの中で、子供達は、熱くひたむきに自分の遣るべきことを進めながら、“冷静”を体感しているのだな、と感じ入ります。人は、道に迷ったり、急なフェイントをくらってしまうと、不安になって慌てたり、取り乱してしまいがち…。

冷静を失った心には、次々と悪いことばかり浮かんで自信を無くさせ、思いもしない方向へ踏み出したりもしてしまいます。そんな時にこそ、冷静さを取り戻すことがとても大事。自己を分析できる能力がとても大切です。

でも、それはいくら「落ち着きなさい」と言って出来ることではありません。だから、冬特訓での教室の静けさや落ち着き、暖かな中での安らぎを通して、真摯にものごとに向かう感覚。冷静な自分はこういう時なのだ、という実感を沢山たくさん味あわせ、自信を積み上げて貰いたい。と切に願います。でなければ冷静な自分の基準が解らず、何処に戻るかの術も無く、無闇に騒ぎ立てるだけになるやもしれません。

初めての受験を迎える子供達に、伝えたいことは沢山あります。受験を通して、折れない心を築くために、大人である私たちは、言葉だけでなく日々の行いの中で、あるいは自然の力を借りて子供たちの生きる力を育んでやらねばなりません。

ただし、冬特訓は、遣った気分になるだけの作業をする時ではありません。冷静な自分を培うには、客観的に自己を分析し、弱点を振り返り克服する勇気と行動力が必要です。

受験では、逞しさともろさが合否の分かれ目になります。生徒一人ひとりのもろさを逞しさにチェンジさせるためには「粘り」と「集中」「覚悟」が必要です。だらけてきた時、ケアレスが多くなった時、イラついてきた時、解けないと諦めかけた時、心のもろさが顔をだしたら、自分に問いてください。

「本当に、自分はここでくじけるほどに弱いのか?」「本当に諦めきれるのか?」
「後、一歩登って、この壁の向こうを見たくはないのか?」
”だらけて来る”のは、まだ時間も逃げる場所が在る。と思っているからです。
”ケアレスが在る”のは、ケアレスはしょうがないと思っているからです。(ケアレスはなくさねばなりません)

誰でも、自分の名前を書き忘れることはあっても、自分の名前を間違えることはないでしょう。それは、何百、何千回も書いて、自分の血肉になっているからです。ケアレスするのは、まだあなたの血肉になっていない証拠。圧倒的演習量が足りていないのです。

また、人は間違いを犯します。けれど、人を傷つけてしまう間違えは許されません。車の運転も然りです。だから、そのような間違えを犯さぬよう自分を律し,犯したら罰を受けます。人を傷つける間違えが無いように、ケアレスもあってはなりません。

だから細心の注意を払うのです。これは性格の問題ではありません。どんな性格の持ち主でもやってはならないと、決意することです。

”イラついて来る”のは、丁寧に解くことがめんどうくさくなって、集中が切れかかっているからです。”解けない”と諦められるのは、この問題ぐらい解けなくても。とまだ、教えてもらって、覚えれば良いさ。と筋道を考え粘ることを放棄しているからです。

これを、弱点と言います。心の弱さです。
(まだ、逃げる所がある。まだ、親がなんとかしてくれる。あの子も間違っているのだから、しょうが無い。遣ってない所だから考えない。楽な道が有るに決まっている…。

言い逃れは「みんなそうだから。」「遣ってるじゃん」「なんで自分だけ」)受験を通して、生きる力がついて来るのは、まさに、この心の弱さを克服した経験がある。ということに他ありません。

自自分自身の弱さにどう、打ち勝っていくか?偏差値の良い学校に入って将来、楽をするために…。という発想は落語ネタでも死語になりました。そして、この弱点を失くそうとする。「本気」と「粘り」が冬特訓という過酷な経験を経て、どの子にもやっと育ってきます。

それだけの時間と、お金と様々な人のサポートとを投じたかけがえの無い時間だと、やっと我が身のことと感じ、行動し続けるまで、ラピスの長い冬特訓は(朝から晩まで、土曜日曜無く受験が終わるまで、)常に傍に沿い、軌道修正をし、克己させ、励まし、確実な実力を付ける。熱い静かな日々が続きます。逆に言えば、ここに来て尚のこと、常に付き添い細やかなサポートが必要となります。

なぜなら、大人でも疲れている時、自分の為だけならご飯無しで寝ることが出来ても、家族の為に起きてご飯を作れます。どうも今の部署は向いてないのでは、と思っていても家族を養うために出勤する時もあります。

自分の為なら頑張れないけど、家族の為なら、誰かの為なら、笑顔が見られるなら踏ん張れる。その、バネが子供たちにはありません。常に「自分の為でしょう!」と言われ続け、その、自分の為の将来は、漠然として、それでもやらなければ、と解っている。解っているけど、中々続かない。1日も、時として30分も。何もかも放り出して逃げ出したくなる。

だから、逃げ出さないで済む環境を、起きている間中ラピスで用意します。それが、ラピスの冬特訓です。付け刃のポイントだけ説明して、「後は聞き流すなり、咀嚼するなり自分でやりなさい」とは出来ません。

ラピス ド エコールの冬は一年で一番長い季節です。どうか、震えながら、折れそうになる心と必死に戦っている幼い子供たちを応援してあげてください。一生の土台を築く、静かな戦いが始まろうとしています。

その先に、春が待っているのですから…。

2017年 5月号より

教育のプロは必要ない?

先日京都に遊びに行ったときのこと。ウィンドーショッピングも一通り終わり、夕食を食べるためにイタリア料理のお店に入りました。テーブルに案内されて食事を待っていると、なにやら隣のテーブルの会話が耳に届きます。(イタリアンのお店は狭い!)普段周りの会話に聞き耳を立てることなどほとんどないのですが、今回は違いました。

「中学受験ってどうなの?」
「最近はやってますね。うちも子供の中学受験考えたけど、私立中はあれだね、才能だよ才能」
「そうなんですか」
「だって、問題ちょこっと見たけど“ひらめき”がないととても解けない」
「スゴイ難しいっていいますよね…。どうしようかな。うちの子には無理だなぁ」

話題が話題なので、横目にちらっと見たところ40代前半から半ばの男女3人。どうもそれぞれ子供の中学入試について話している様子です。正直なところ、人生で初めて、全くの他人の会話に口を挟みたくなりました。なぜなら、言っていることが「世間ではそう思われているけれど、実態は全く違う」ことばかり。

上の会話の「ひらめき」も、実態は全く違います。私立中の難問ほど「パターン」重視のものはないのです。確かに才能は必要かもしれませんが、その才能は間違っても「数学的ひらめき」ではありません。

大量の問題を黙々と解き、覚える「忍耐」の才能こそが必要なのです。
30代から40代の大人にとって、プライベートの重要な話題はだいたい「家」か「教育」です。息子夫婦も、最近家を買おうと思い立ちいろいろ調べているようですが、金額の大きさや関係する年数の長さから、「まさに人生を左右するイベントだな」、と実感しています。しかも税金やら投資やらかなり複雑なシステムになっているため、全くの素人には何が何だか分かりません。

ネットで調べてみると、世間には家に関して包括的にアドバイスしてくれるコンサルタントがたくさん存在することが分ったそうです。では、もう一つの話題である「教育」はどうだろうと調べてみると、ほぼ存在しないのが実情です。

これは本当に不思議ですね?問題の複雑さや影響の大きさでは、家など比べものにならないテーマのはずなのに一体なぜ?この疑問を深く考えてみると、答えはどうやら教育の定義そのものにありそうです。

一般に「教育」、特に小学校、中学年以上のそれというと、人々は「授業」を思い浮かべます。よい教育とはよい授業のことであり、よい授業とは成績のあがる授業である。こんな通念があるようです。

しかし、ある程度長く塾の講師をやり、小学生から中3生まで教えてみると、教育は授業“ではない”ことがはっきりと分かります。どんなにエレガントな授業を生徒に与えても、その生徒が身につけてきた考え方や価値観とフィットしなければ効果が発揮されません。たとえば、勉強とは効率よく点数を取ることだ、と考える生徒に、じっくりと思考して答えを作り出す方法を教える授業をしたとしても、あまり効果は上がらないでしょう。

では、生徒の考え方や価値観を「教える」のは誰か、といえば、それは『親』なのです。
子供と接する時間が最も長い親が、有形無形に伝えるメッセージの蓄積が生徒の価値観の核になります。よく言われることですが、「問題集をやったらおもちゃを買ってあげるよ」というのは、勉強とは目的ではなく手段であるという価値観の反映でしょう。一般的に日本の最難関大学で(日本だけではなく世界的にも)、学問を「ただの手段である」という価値観を持っているところは一校もありません。

学問自体に価値を置かないのであれば、専門学校でいいわけですから。学問自体を目的とする価値観を持った大学は、当然入試問題もその価値観にそって作成します。よって、大学の持つ価値観と異なる価値観の元で勉強してきた生徒は、当然不利になるわけです。

つまり、子供を東大に進ませたいと思うならば、その価値観にそったメッセージを子供の幼少期から親が発していく必要があるのです。上にわかりやすい例を一つ挙げましたが、他にも同様の例は無数にあります。子供に対して発するべきメッセージの「正解」は、実はなかなか分かりません。

親は自分が育ってきた経験しか持っていないため、子供に対して発するメッセージも自分が受けたメッセージのリピートになり、かつ、そのメッセージを否定することは自分自身の否定につながってしまうからです。

だからこそ、「他者」、それも多くの生徒の指導経験を積んだ他者のアドバイスが必要になるのです。本当に些細な子供への声がけの仕方から中高大学受験の戦略まで、多種多様なノウハウを手に入れられれば、子育ては俄然うまく進むでしょう。

現状このような役割の仕事は学校の先生や塾の先生が担っていますが、先生方の「本職」はあくまでも授業です。子供への手厚い教育の需要は高まり続けている昨今、ファイナンシャルプランナーならぬエデュケーショナルプランナーの必要性を強く感じる今日この頃です。ラピス が小、中、高の一貫教育を目指すのもここにあります。

多感な時期をお預かりするラピスが一人ひとりのお子様のエデュケーショナルプランナーとして、もっともっとご家庭と密に大切なお子様を育んで行くように、これからもラピスは研磨を重ねていきます。

2019年 3月号より

*** 贈る言葉 *****
誰もが、必ず、必ず持っている才能…。
それは、『 努力をする。』という才能です。
努力する才能を持っていない人は居ないのです。ただ、残念なことに努力をすれば、全てのことは必ず花が咲く。とは限りません。

特に、スポーツや、芸術 方面では、どれだけ努力をしても、それだけでは足りない。+α
産まれもった体格や、センス、環境、時期、時代、国なども開花させるために必要な要素かもしれません。平和な世でも、社会に出れば理不尽な差別、不運もあるでしょう。しかし、こと勉強は、本人の努力で花開かせることが出来るのです。

勉強だけは、コツコツと努力を積むことで、必ず結果は出せます。ただし、努力を花開かせるには、いくつかのコツがあります。
『努力すること』は、誰もが持っている才能ですが、心の核の深いところに隠れていて、
中々、光を浴びようと出てきません。だからまず、『努力する』という種を引きずり出さねばなりません。 
それも自らの意志で押し上げて陽を浴びせる!と意識することが大事です。

次に、すぐ諦めないこと。
結果はすぐには出てきませんし、地味なことを続けるのは辛いことです。  
けれど、「止めたい」と泣きたくなっても止まらないで!「どうせ」と自分に卑下しないで。
辛い時こそ試されている時。だからここで諦めないこと。

それから、自分で自分を評価しない。
これは、勉強以外にも言えることですが、評価は自分以外があなたを評価するものです。

だから、自分で「もう十分やったよな」とか、「これ位で良いんじゃない?」と勝手に自分を自分で評価しない。
逆に言えば、あなたの満足いく評価が出して貰えるまで、諦めてはダメです。あなたの目標に評価が届いた時、あなたの努力は結ばれ、花開いた!と言えるのです。それは、長く、厳しく、辛い道程です。

『努力する』はとても小さく殻の固い才能ですから、開花させるには根気と慎重さが必要だから。身近の人の良かれと差しのべられた行為、水の遣りすぎ、肥料のやりすぎで根腐れを起こすかもしれません。驕らず、腐らず、妥協せず、謙虚に地道に学び続けていく道程は、辛いけれども学生が与えられた、特権であり、本分です。

しかし、それでも、心折れそうな波が何度も押し寄せてくるでしょう。そんな時、思い出してください。あなただけじゃない、努力を続けているのは。あなたは決して独りででは無い。同じように志、その道を踏みしめている仲間が必ず居ることを。そして、ラピスがある事を。

私達が、あなたの学びへの努力を花咲かせる道程をサポートできたことは、適切な時期に水をやり、声を掛け、激励し、道を照らさせて貰えたことは喜びでした。又、それが私たちの使命だと思っています。中学受験、高校受験、そして大学受験を経てまだまだ勉強は続きます。だから忘れないでください。

ラピスで培った『努力する』コツを。

次の目標の花開く時も、それを胸に秘め。新たな一歩を踏み出してください。
卒業おめでとうございます。

2019年3月吉日
                            Lapis de Ecole 天野由紀

2013年 9月号より

「受験勉強における成功とはなんでしょうか?」

この問いかけに対してたいていの人は、自分にとっての「最高峰合格」とか「第一志望合格」と答えます。この回答が間違いでないわけではありません。目標もなく、ただ漠然と受験勉強をするよりも、目標があってそれに向かって取り組んでいる方が得るものは多いです。

ただ、ラピスドエコールにおいては上記のこと以外に以下の二点を重視しています。

①入学後何を勉強するか。勉強以外に取り組むことは何か。
②入学後学んだことを活かしてどのように社会貢献するのか

この二つの質問に明確に回答できるかどうかが大切です。回答が明確であればあるほど、学校選びも慎重になり真剣に勉強に取り組みモチベーションを維持できますし、その結果、自分の望む学校に合格する。万が一、不合格になっても、そこから多くのことを学べます。

つまり、合格、不合格にかかわらず得るものは多いのです。しかし、知名度で学校を選び受験勉強すると、合格した時は大喜びですが、不合格の時はショックのあまり何もできなくなってしまい、勉強に対するモチベーションも急激に低下…これでは失敗から何も学ぶことができません。

受験は長い人生におけるひとつの通過点にすぎません。

どうすれば難関校や名門校に合格できるかを考えることも大事ですが、まず考えないといけないことは、受験が自分の人生の中でどんな意味合いを持つのかです。

この問いかけに対する明確な回答なくして、受験での成功はない、と私は思います。そして、当たり前のことですが、この答えは自分で探し、見つけなければなりません。

一度きりの自分の人生。自分のことに自分が責任を持てるように。
どの道も険しい、楽な道はありません。
それでも、自分で決めた道を重い荷を背負って自分で歩くから、出来るわだつみは美しいのです。
常に深く自分を見つめなさい。
常に広く世界を見渡しなさい。
経験が浅かろうが、無かろうが、真摯に謙虚に考えなさい。

自分に何が出来るのか?

2011年 7月号より

ご存知の様に、ラピス ド エコールには大学生の講師が何人も居ます。

大切なお子様の勉強をアルバイトの学生に見させることに御不安な御家庭もおありになることでしょう。
正直、彼らは社会というものを知りません。
ラピスに入るまで、日本の大学生の典型である、大学に入ったら遣りたいことをやろう。部活やサークル、趣味 と自由を謳歌出来ると思っていたかもしれません。
いつのまにか歪んだ日本国中に溢れる教育理念。(将来、楽に成る為に…。)の洗礼を受け、受動的に与えられたことをこなし自分の為の努力でさえ支えられて何とか遣れた子ども達です。

その子ども達がラピスで、たとえバイトであれ自分のこと以外で努力する事に出会います。
所属するチームの為に、学祭で皆と力を合わせてのレベルでは無く、只ひたすら、自分の事以外で人の為に、どうすれば良いのか。
何がBestかを考えさせられます。自分が当たり前と思い、してもらっていたことを相手の為に用意し、スッと受け入れていた事柄、(分数の割り算は逆数にして掛けること。
マイナスの概念。原子や分子や目に見えなくても在るということ。
古典の人の情緒の豊かさ、等)を「なぜ?」と聞かれたときに答える言葉に戸惑いながら、技巧に走らず、どうすれば心に届くかの課題が教務1日目から立ちはだかります。
彼らはそれを必死で模索しています。
1つでも出来る様にする事、させる事が如何に難しいことかを思い知らされて。

人の役にたとうとする事。人の役にたつために今までの人生の全てを駆使し試みねばならないこと。
それを厭わないアナタが必要ですよ。と家族や友達ではない繋がりで自分を必要とされること。
そして、教える子ども達が出来るようになったときの喜び、感動は自分の為だけに生きてきた人生にとって大きな発見であり、それがより彼らを研磨へと導きます。

「働く」ということは、こういうことの積み重ねではないでしょうか?
そこに、社員もバイトの垣根も無い。と私は思っています。
勿論、世には若さを切り売りする仕事。名前すら覚えて貰えないけど時給は良い仕事も多々あります。
大人でも生活の為にだけ、お金のためだけと割り切っていらっしゃる方もお見えになるでしょう。
でも、「働く」ということは社会に貢献すること。社会に、人に自分が必要とされ、伴により良い未来を築こうとする営みであるべきです。

これは「理想」かもしれません。
しかしこの理想を真摯に受け止め実行しようと深夜まで取り組んでいる学生がいます。
自らも「学ぶ」課程に居るから、生徒の悩みをリアルに受け止め心痛める者がいます。

彼らの純粋さと熱意を日々感じることが出来るからこそ、私は学生スタッフを断ちえません。
彼らの中には元ラピスの生徒だったスタッフも居ます。
一人は年末に「自分が生徒だった時は先生たちがこんなにも胸痛め考え、用意してくれていたなんて知らなかった。生徒の時はごめんなさい。」と言ってくれました。
愛されてばかりの子ども達が「人を愛すること」に気付き始めました。
「生徒の為に何が出来るか?」の討論、研修は教務時間を遥かに越え深夜になることも度々です。朴訥なしゃべりはありますが、心に届く教え方を研磨し、今日もスタッフ一同が教務にあたらせて頂きます。

ただ、どんな時であっても彼らの活躍はラピスが築いた細密なシステムの上であることは勿論のことです。
その上で、人と人。夢とあこがれを伝えるべく熱い血の通った授業をこれからも展開していく所存です。
どうか、これからもラピスの子どもたちと伴に学び、伴に悩み、伴に成長していく姿を見守っていて下さい。宜しく御願い致します。

2010年 6月号より

中3・高3生はもちろんのこと、5月の大会が終わる頃から高2生も大学受験モードに切り換わっていきます。中学2年生も中3生が部活を引退し、秋風が立ち始めると「受験」を意識して、少しずつ顔が引き締まってきます。

中学・高校・大学受験にぶつかる少年少女期(10~18歳)は人生の「黄金期」と呼ばれ、将来を大きく左右する極めて重要な時期です。一口で言えば、人間として正しく生きる為に必要な知識や知恵=「人間性」の基本を学ぶ時期です。そして、そのことと深い関係にあるのが、実は「受験」なのです。受験期と黄金期とが重なっているのも、決して偶然ではありません。

「受験」は、膨大な時間とエネルギーと費用をかけて取り組む。個人的にも、社会的にも極めて重みを持った一大事業です。ですから、当然それに見合うだけの成果を生むような取り組み方をしなくては、バランスが取れないことになります。裏を返せば、健全な社会作り、ひいては充実した人生の土台作りに役立つだけの「なかみ」が受験には本来備わっている、といえるのです。

「受験」の目的は、「志望校に合格する!」という「かたち」になって現れていますが、それは氷山の表層。表面下の目に見えない主要な部分「なかみ」では、その目標を達成する為の考え方・方法・秘訣を修得せねばなりません。その為に努力することや計画性、誠実さも培かわれていきます。また自ら進んで志をたて、その実現に向けて積極的に取り組んでいく、創造的な人にあなた達自身をつくりあげていかねばなりません。
あくまでも「かたち」の面は、「なかみ」をつかむための導入の役割で、肝心な「なかみ」をつかんで生かしてこそ初めて受験の真の目的は達成された、といえます。

そしてこのことは、正に人生の基本パターンの1つに他なりません。
子どもから大人に向かって成長してゆく大きな転換期に「かたち」という具体的で分かりやすいものを通じて、「なかみ」という分かりにくい抽象的なものをつかみ取り、人間としてたくましく生きる為に必要な考え方や行動の仕方を修得することは、この時期の最重要課題です。

またその為の受け入れ態勢は、既にあなた達の内にできています。
なぜなら、「黄金期」は一生の中でも最も吸収力に恵まれ、好奇心旺盛で想像力も直感も記憶力にも優れており、重要なものをぐんぐん吸収する為の準備態勢が整っているからです。

この最高の時期に見合った最高のものを学び取りましょう。
もちろん、ラピスは限りなくサポートしてゆきます。

2011年 8月号より

 "考える"ことが大切ですよ。と度々通信にも綴ってきました。
でも、"考える"という作業は言葉を使うでしょう。
だから、沢山の語彙と知識がどうしても必要になります。思春期は自我が芽生えようと心が疼く時期。自分を認めて欲しいし、もっと自由になりたい。
その為に、自分の成りたいもの。自分の夢を探し始めると、「ところで、自分って何?」って解らなくなって、とにかくなんだかイライラしちゃう.…。

でも、実を言うと自分というものは大人になっても中々解りません。
なぜって人は、明日は今日より成長していたいと願うものだから。
どんなにおばあちゃんになっても、明日、何があるかわからない。
何処で、どんな出会いや気付きがあるかもしれません。

それを、「自分はこうだから」と固定しちゃったら、成長も止まってしまうでしょう?
それに"明日はもっと善い日"そう思わなければ、今日を生きる勇気は出てこない。
"明日、地球は消滅します。"と報じられたら、恐ろしくて今日も生きられ無いんじゃないかと思います。

大人も子供も明日のことは初心者マーク。
だから、ワクワクして明日の種を今日撒くのです。
じゃあ、大人と子供の違いって何でしょう?

好きにお金を使える?
あれ遣れ、これ遣れ、と指示されない?自由にしてる?
それは、少し正解で、随分誤解です。
大人だからこそ(社会の一員だからこそ、)好きにお金は使えない。
(お金の価値を知ってるからね。)(お金は大事だけれど、それが全てでは無いし、本当に大切なものはお金では手に入らないことも知ってるから。)あれ遣れ、これ遣れと指示されます。(会社では、組織の中では、そして家庭でも…。)

でも、むしろ指示されて遣る事のほうが、ハッキリしてるし、遣り易い。
難しいのは、誰にも指示されないで自分で考え動かねばならないこと。
正しい答えは用意されていなくて、自分が出来るか、向いてるかもハッキリしなくても、どうすればより良いかを考え、決断し行動しなければならないこと。

これはキリが無いのに、そこに全てが問われます。
全てとは、その人の人間性です。
その人の大きさ、人間力のこと。
そして、今まで生きてきた人生の全てを注いだ行動は、どういう結果であれ、責任も自分にのしかかるから、重い。大変。しんどいです。

お父さんは酒でも飲まなきゃ遣ってられ無い!って日もあるし、お母さんはプチ家出するかもしれ無いぐらい怖い、苦しい時も多々あります。
でもね、朝になったら、またいつものように自分の仕事に戻るの。
それは、自分の背負ってるものを知ってるから。自分が生きる為に、家族の為に、あなたの為に、社会の為に、自分が必要とされていることを充分感じているから、それは、自分にとって何にも勝る喜びだから、自分が生きていく糧だから。
それが、自分が生きて存在していることの証だから。

楽してのんべんだらり、と生きるより、しんどくても、"明日はもっと善い日"と希望を持って"種を撒く"ことを止めずに進めるの。
それは、人としての誇りです。実直で不器用で、パッとしないように見えても大人が大人たる根は深い。軽くは無いよ。何かを遣らされてた。
では無くて意志を持って何を遣ってきたか?が問われる時代です。

今までの経験と、積み上げてきた自信と、譲れない大切なものの為に明日に向かうのが大人です。今日、良かれと思って取った行動が悪い結果になったとしても、責任をとる覚悟を持ち、取れるのが大人です。

6歳になったら小学生。12歳で中学生。15歳で高校生。18歳で大学生になれたとしても、20歳になったら大人になれるものじゃ無いの、本当はね。
だから学生という期間は(特に義務教育の間は)その責任が取れるようになるために力をつける時間です。学生の間はあなた達は保護されてる。
扶養されてる。この間に力をつけなさい。
知識を蓄え実社会に出たとき考え、行動できる人に成る為に。

決して人のせいにしないで、流されず自分に責任を持ち、指示されなければ動けない人間に成らない為に。
もっともっと貪欲に今このとき、"考える"為に知識を吸収しなさい。
それが、あなた達子供に与えられた権利です。
但し、その権利を放棄するようであれば、どんどん指示が出されます。
命令もされます。知識を得る権利を手放して自分で掴める自由は明日も来ない。

自由とは、自分に責任の持てる人に与えられた称号です

2010年11月号より

暑い夏が長すぎて、今年はことのほか秋が駆け足で過ぎてゆきます。

行事ごとも多い季節ですので、いつものリズムが乱れ中間テストの間際に体調を崩す子、また、中学生では学校の提出物を仕上げておらず、塾でも授業を潰し学校のワークをやらざるを得ない子ども達も居ました。

2学期の立ち上がりがあまり上手く出来ていません。学校の提出物が指定日までに出せなければ、テストで100点取っても通知表に『1』が付く場合もあります。

それは義務教育では、偏差値以上に「約束を守る」という人間性を育てることに重きを置いている公立学校の特徴かもしれません。
ですから、テストの結果は平均点以下であっても授業態度で学習意欲を認められ、提出物やノートに一生懸命さが感じられれば『4』になった子もいます。
たとえば、学校の予習・復習をキチンとやり、定期テストで弱点を克服する為に学校の提出物を3回以上あるいは暗記までやっていれば、(たとえ基礎の理論、文法が解らず応用まで解けなくても)平均点以上の点数は取れますし、熱心さは学校の先生にも感じ取ってもらえるからでしょう。

ただし、実力テストや受験は別です。
本当の実力が問われるテストでは、基礎・基本の定着を踏まえ応用問題まで出来るようになっていなければ高得点は望めません。
また、「実力テストは内申に付かないから。」と軽くみられがちですが、実力が定着していなければ高校から伸び悩みます。この事も踏まえ特に中3生は実力テストも高校選択の基準として学校側も対応します。
ですから公立高校入試に内申は重要ですが、定期テストの点だけ取れれば良いという考えは危険です。こういう気持ちで定期テストを捉え、テストが終わると記憶も白紙に戻りちっとも実力が定着しない子、付け焼刃な勉強しかやってこなかった子達が、高校からの勉強の仕方が解らず入塾するケースも多々あります。

はっきり申せば、中学の定期テストでそこそこの点を取らせる事はさほど難しくありません。上述したように日々の予習・復習とパターンを覚えれば家庭学習で充分です。でも、高校からは丸暗記は通用しません。問題の一問一問が複雑になるからです。思考のセンスとギブアップしない粘りが必要になります。そして、この力は「高校になったら付いてくるものでしょう。」では無く、中学生までに鍛え上げておかなくては固まってしまうのです。中学まで徹底的なパターン人間で受動的に仕上げられた思考は、独創的思考、想像力、忍耐力を拒みます。
なぜなら中学まで「このパターンを覚えれば良いから。」と言われた通りにしかやらず点を取り、それなりの評価を受けていた子ども達は、高校に入って何処からも指示出しがもらえ無いと、自分で積み上げてきた基盤が無いため自分の判断が正しいかの自信が持てないのです。「解らなければ自分から聞きに行くしか無いでしょう。もう高校生なのだから。」は出来なくなっています。それまで、勉強に於いて能動的に動くチャンスを逃して来ましたし、1つの問題の解き方が解らない前に勉強の仕方がわからない。自分の勉強法で良いのか自信が持てないのです。

自信とは『自らを信じる』と書きます。
では、何が子ども達の自信になるのでしょう?

私は、それは『継続』だと思っています。ちょっと頑張って、まぐれで点が取れたでは、弾みのきっかけにはなるでしょうが、自らを信じるには至りません。自分の立つ土台は自分が築き上げたからこそ信じて立つことが出来るのです。
単語が中々覚えられない子がいました。10個の単語を10回書いても覚えられない。再テストで20回練習しても合格しない。30回書いても…。次の単元の単語に移ったとき、その子は「私は、30回練習しても覚えられないから、50回書いて覚えてきます。」と言い、継続しました。1年後、テストの得点は平均点+20点以上取れるようになっています。でも、テストの点はその子の粘りに対する御褒美です。なによりもその子は出来るまで諦めない事を学んだのです。

これが生きる力に繋がります。そしてこの事を重々感じて見えるからこそ、基礎・基本を徹底的に演習し、応用問題が解ける迄の実力を塾に求められていると思うのですが、いかがでしょうか?

無論その分、子ども達には負荷が掛かります。①学校→②部活・習い事・クラブチーム→③学校の宿題→④学校の予習・復習。の上に⑤来塾日か塾の宿題が加わるのですから、時間管理は大変です。
学校の宿題、予習・復習だけでも普通は1~2時間掛かります。(英語で、予習なら本文の音読、意味、単語調べ。復習なら学校での板書の文法チェックと本文、単語の暗記。学校ワークをやる、等)
ラピスの宿題は(1~2時間/日)をベースに配分しています。(学年、教科、時期によって違いますが)ですから1日平均3~4時間は集中して勉強しなくては、「勉強しているのに…。」とは言い難い。これを、365日です。お正月や、病気、用事等で出来ない日は前後で調整します。それを、中学3年間やり遂げたということが自信になるのです。『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えろ!』と中国の諺にあるように、ただ、点を取れればではなく、勉強の仕方と継続へのサポートでラピスは子ども達に自信を付けさせたいと思います。

自我は芽生えつつも自分の進路(目標)が定まらず、生きているという手応えを部活や友達の中に見出しやすい子ども達にとって、勉強を中心に据えやり続けるということは大変なことです。勉強の手応えを感じなければ、(成果が見えなければ)やっても無駄だと思いたくなる気持ちも解ります。「一生懸命やってるのに…。」とご家庭でも思われる時もあるでしょう。

でも、安易に得られないからこそ『粘る』という心が育ちます。社会に出れば、求められるものを求められた期間に応えるのは常識です。また、相手が何を求めているか察知する能力も必要です。「言われないと動かない」では無く、どうすればもっと相手の求める以上のものを提供出来るかを常に考え、行動出来る人材が今求められています。そこに「一生懸命やったから。」も「体調不良だから。」も通用しませんし、「自分の案は取り上げられなかったから、もう考えるのは無駄だ」と止めてしまったら、ずっと指示されたことしか出来ない個性の無い人間になってしまいます。

しかし社会に求められる人には、一朝一夕で成るものではありません。だからこそ学業を継続しやすい環境を整え、諦めない姿勢を見守り、自分で築きあげた自信で立たせることが、大人が子どもに出来る最良の贈り物なのではないでしょうか。
中々成果が出ない時は(試されている時、見えない所に根を張っている時だな。)と、心で応援して下さい。

ご家族と伴に勉強への習慣づけと気力を克己させるサポートをする為にもラピスは在ります。私達は巡り合えた一人ひとりとチームを組み、それぞれが目指す頂まで導くサポーターです。ですから、ルート、天候確認、荷物の準備等はそれぞれに合わせ備えます。でも、麓から頂上まで自分の足で歩くのは子ども達。誰も負ぶったり車で途中まで連れて行ったりは致しません。いかに案内役が居ようとも子どもにとっては平坦な道のりではないでしょう。気力、体力が必要です。(速い)(遅い)(高い)(低い)は何かと比べての評価であって自分の定めた頂上に到達する。という目標とは関係ありません。コツコツと誠実にラピスで学んだ時間が一生を支える自信になるよう培っていく為に、これからもラピスは子ども達と伴に、研磨し続けていく所存です。
ですから宿題忘れや、おざなりにしか宿題をやって来なかった時、遅刻した時、「学ぶ姿勢が整っていない。」と厳しく叱りますし、「学ぶ気持ちになってから」と帰宅させるか最後までキチンと終わるまで居残りもさせ付き合います。その為、帰宅時間が深夜になり明日の学校に響くようであれば、ご家庭でも家庭学習の姿勢、時間軸の取り方を話し合って下さい。
何を中心に据えていましたか?どんな大人になって欲しいですか?「ただ、勉強しなさい!」「こんな態度では、駄目だ!」では無く。子ども達が築く未来に憧れが持てるように。力を付けながら成長する階段をワクワク楽しめるように。何の為に勉強し続けるのか、折に触れ感じさせて下さい。

教室では、日本語で書かれた解説を理解しようと読み込んでいるか、眺めていただけか。粘らずに安易に解き方、答えだけを聞き出そうとしていないか。流れ作業のように鉛筆を走らせるのでは無く、ここでやった問題は次は出来るよう意識しているか、等。もっともっと子ども達の様子に細かく気を配るながら、勉強し続けることによって依存しない逞しい人。自分本位でない幅の広い人となるサポートに努めたいと思います。

2010年 8月号より

 【 大人が子どもに語り継ぐこと 】

通信に幾度となく目標についてお伝えしています。
子ども達が、人として大志を抱き、叶えるための手段を勉強を通して得たり、小さな目標を達成することで掴んで貰いたいからです。「家の子は、何の取柄も無い。スポーツも芸術面もプロに成れるほどのセンスは無く、知能も努力して普通だから、せめて○○は継続出来たというものを持たせたい。」とお稽古事を推奨される御家庭もあります。

子を持つ親としてその気持ちは痛い程解ります。「△△が出来るようになった!」「昇格した!」と嬉々とした子どもの笑顔、その為に励む姿を見ることは、何にもヤル気を示さない事よりはるかに今を活き活きと生きている手応えがあります。振り返って、勉強しか遣って来なかった。と言う学生時代はさぞや味気の無いものに感じるかもしれません。でも、だから勉強以外のことにも精を出させたい。と思われる前に、そもそも勉強とは何の為に遣るのかをもう一度考えてみてください。

高学歴、高収入を得て楽な暮らしをする為ですか?楽な暮らしとはいったい何なのでしょう?良い暮らしの基準はあるのでしょうか?衣食住がある程度のレベルで保たれていることですか?「とにかく、生きていかねばならないのだから」との声が聞こえそうです。

"生きる為に…。"これは一つの真理です。
でも、現在の日本の生活水準に於いて生きる為は、食料の確保では無いでしょう。自分が快適に生きる為にが( )の中に括られます。そこには、個人主義=自分さえ、自分の暮らしが良ければ、の影が潜みます。そして、「衣食住足りるための勉強+αも添えてやりたい」も、この延長線上にあります。しかし、勉強は個人の私利私欲の為に、衣食住の快適さの為にのみあるのではありません。勉強は夢を叶える為にあります。

人は、人との関わりによって、その存在を認められます。無人島で金塊を見つけても、一人では使い道もありません。あるいは、ヒトラーのような独裁は、YESマンばかりで心からの共感は得られないでしょう。どんなに高笑いしても相手が居なければ虚しく響くだけです。人の中で生かされ、育まれた子ども達が、社会に何ができるか。何を持ってやりがいとするか。

大切な子供達が、必要とされる社会を思い描いて下さい。どの子供達も社会に貢献し、世界を変えうる核を持っています。それは、とても大それたことでは無く、夢を持った子ども達にとっては、むしろとても自然なことです。"医者になりたい" "野球選手になりたい" "宇宙飛行士になりたい" 子供の夢を聞いてあげて下さい。

大人はまず子ども達に、夢を抱かせましょう。そして、夢を語り始めた子ども達に、なぜ、それになりたいのか?夢が叶った社会はどうなっていて欲しいか、と広げて下さい。子ども達はもっと夢を膨らませるでしょう。"みんな長生きして欲しいから、医者に成りたい" "視力が良くなったら、みんな綺麗に見えたから" "野球の面白さを沢山人に知って欲しいから" "宇宙旅行に連れて行きたい"この純真な想いの一つひとつが世界を支えていきます。大人になったら…。大人になっても。ずっとずっと…。

親は子どもの笑顔を望むものですが、親以上に子どもは大好きなお父さん、お母さんが笑っている顔を見たいと思っています。これが幸せの手応えです。自分が大切に思う人の笑顔を見ることが自分の幸せであり、自分の夢によって、その笑顔を守りたいと願うこと。その尊さはたった一人の人であっても、たくさんの人であっても変わりません。私はよく、巡り合えた子ども達がやがておじいちゃん、おばあちゃんになり孫を抱く風景を想い描きます。

その時、子ども達は幼子が健やかに育つ事を祈らずにはいられないでしょう。願わくば、抱かれた孫も年を取りその孫を抱く時も世界が平和であるように、と。100年後の子ども達がその100年後の世界も平和に、豊に穏やかに発展していくことを望めるように祈ります。

今、このときだけ、自分だけが良ければ良いのでは無く。人の中で生かされていることを知り、たくさんの大切な人たちと巡り会い、自分の大切な人が住む世界を思い描き。子ども達の子ども達の子ども達の為にまで、志を抱いた子ども達の夢が馳せていくように。勉強は子ども達が大志を抱き、それを叶える為の1つの手段です。そして、どの子も等しく、勉強を通じて、努力を学び、誠実を知り、達成の喜びを覚えながら、夢に近づく手応えを感じて行けます。

大人が子ども達に語り継ぐこと。それは、子ども達が、夢を=希望を=あこがれを=大きな志を持てるように、明るい未来を構想させる力(愛)を育むということです。
今いる子ども達と、子ども達の子ども達の子ども達の為に…。

ここに、同志社大学の創始者、新島襄の言葉を綴ります。

わが校の門をくぐりたるものは、
政治家になるもよし、
宗教家になるもよし、
実業家になるもよし、
教育家になるもよし、
文学者になるもよし、
且つ、少々角あるも可、
気骨あるも可、
ただかの優柔不断にして安逸を貪り、
苟も姑息の計を為すが如き
軟骨漢には決してならぬこと、
これ、予の切に望み、
ひとえに希うすることである。

100年後の子ども達に想いを馳せれる子どもを育むために。
ラピス・ド・エコールはこれからも志塾を目指していきます。

2010年 4月号より

  「テストは何の為にあるのか?」

私が度々子ども達に尋ねる問いです。
驚くことに殆どの子ども達が一様な答えを発します。
「テストは自分の実力を知る為に行われる。」と。
そして、殆どの子がテストは嫌いです。
私も試験は嫌でした。好きな学科であってもテストは違います。土壇場まで追い詰められて徹夜をし、ちっとも身につかなかった苦い経験も幾度となくあります。
勿論、子ども達も重々解っているのです。もっと計画性を持って毎日少しずつやらないといけないことも、勉強している格好だけではダメな事も。

それでも、自我が芽生え始めた子ども達にとって、「~までに△△します。」=「強制」させられて、点数という評価を有無に関わらず付けられることは、かなり面白くない事でしょう。もちろん、良い評価であれば自信や達成感につながりモチベーションも上がるのですが…。でも、子どもであれ、大人であれ、自分にとって好ましくない評価は辛いもの。大人であれば、折角の忠告であっても、その方と距離を置きたくなるやも知れません。それなのに子ども達は、そうはいかない。
「やったのに、結果は自分にとってちっとも良い評価じゃない。だから、もうやらない。」わけにも、「あの先生とは(あの問題とは)、相性が合わないから当たったら運が悪いだけ。」でも済みません。

テストの意義は大きい。テストから学ぶことは、たくさんあります。
生まれてから、衣食住の何もかもを守られ、受身であった子ども達が知識において、「あれは何?」「なぜ?」と能動的に関心を持ち始めたことを思い出してください。
「勉強は教えてもらうもの。」という意識は受身ですから、この意識が定着すると教えてもらったものを受け入れるという学習態度が先行するようになります。これでは、教えてくれる人や、教えてくれる場所(学校・塾・予備校)がないと思うように勉強できませんし、もし、人や場所があったとしても、聞く態度が消極的(聞かされる)では、教えてもらった半分も吸収できません。勉強は教えてもらうものではなく、あくまでも「学びとる」ものです。自分から進んで掴み取る積極的な姿勢が正しいのです。学校も学校があるから行くのではなく、こういう目的でこういうことを学ぶ為に行くのだ、というように主体は学校ではなくて、自分自身であるという主体性をもった考え方が正しいのです。
まだまだ、自立におぼつかない子ども達であるからこそ、あれをしてみたい、これは嫌だと様々なことが、受身の中で自我の確立を試みます。でも、その中で、唯一主体的に考え、行動できる空間と時間が勉強だ。といっても過言ではありません。

テストに向け主体的に動くとは、まず、自らが目標を定めることから始まります。
次のテストで数学は何点取ろう!学年で何番以内に入ろう!そして、今日までの自分を素直に省みてテストまでの計画(一週間単位、一日単位のタイムスケジュール)を立てます。計画を立てたその日から、誠実にコツコツ勉強します。一日の終わりは達成感を持って、先延ばしはしません。最後の週は総まとめに入ります。そしてテストを迎えます。
テストが終われば、何が出来て何が出来なかったか。計画の何処が或いは意思のどこが甘かったか検証し、次のテストの準備に入ります。
お解りですか?目新しいことは言っていません。

テストに挑むにつけ必要なこと。
① 能動的な主体性
② 目標を自らが定め、目標を成功させる気構え
③ コツコツ続ける忍耐力と誠実性
④ 総まとめに必要な整理能力と注意深さ
⑤ 諦めない、折れない心

これらは、自立に欠かせない最も大切なこと。社会で必要とされる大人になる為に当たり前とされている条件です。
あなたが「頑張ってるから良いじゃん!」と自分で自分を評価するのではなく、社会があなたの頑張りを評価し、あなたを必要とし、その要望に応えられることがあなたの喜びにもやりがいにもなって下さい。“人に必要とされたい。” この種は全ての人の心の中にあります。でもそれを実現し続けることはとても難しい。だからこそ学生という長い期間、このための力を付ける為に守られながら、何度でも挑戦出来る様にテストはあるのです。

だから、決して諦めないで下さい。ある人はすぐ目標に辿り着き、自分は遅々として進まないように感じるかもしれません。でも、人と到達した速さを競うものではありません。また、スポーツも芸術もあらゆることから、人の深みは増して行きますが勉強と勉強以外のことが逆転しないように。「あの人は仕事も出来るけど、○○も出来る。」と、言われる人としての厚みは素敵です。だからこそ、基本はキチンと出きるように。学生の基本は勉強です。

あなたの笑顔が見たいから
一緒に音楽を聴いたり
絵を描いたり
テニスをしたり
ケーキを食べたりする
あなたの笑顔を思い浮かべる
それでもラピスを選んだ
一番見たかったのは
あなたが、あなたの足で、あなたの目標に
辿り着いた時の笑顔だから。
それまで、あなたとともに歩いていく
あなたの心が折れぬよう
しっかりあなたをサポートしながら…。

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